人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くがごとし
急ぐべからず
不自由を、常と思えば不足なし
心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし
堪忍は、無事のいしずえ
怒りは、敵と思え
勝つことばかりを知って、負くることを知らざれば、
害、其の身に到る
己を責めて、人を責めるな
及ばざるは、過ぎたるに優れり
こちらは有名な 『徳川家康人生訓』ですが、
重荷を「責任」に置き換えると、とてもしっくり来るような感じがします。
仕事に対する責任、親としての責任、男として、妻として・・・。
いろいろな責任を背負いながら社会生活を送っていくのが人としての務めでしょうか。
ただ、重荷を「苦しみ、悩み」と捉えたなら、
できれば下ろして身軽に歩いて行きたいですよね。
悩みを心に抱えたまま生きているときは、とても辛いもの。
まるで重荷を背負って坂道を登っているみたいに、辛く苦しい・・・。
どこまでも続く坂道。
頂上が見えない。
肩にずっしりと感じる重み・・・。
どこかに一旦下ろしてしまいたい・・・。
いっそのこと手放してしまえたら、どんなに楽になるだろう・・・。
多くの人は重荷が実は何なのか、ちゃんとわかっていないまま、背負い続けているのです。
大切だと思っているものが、実は重荷だったりします。
大切な大切なモノなのに、
大切だからこそ、大切に心のなかにしまいこんで、守って・・・
きっちりみつめることもしない・・・・。
思い込みかもしれないのに・・・・
背負い続けている。
重荷が何なのか、
どうすればその重荷を軽くすることができるか、
どうすれば、下ろしてしまえるのか。
それをお伝えできるのがセラピストです。
でも、でも、これだけは言えるのですが、
セラピストができることには限界があります。
ちゃんと心からその重荷を手放したいと
思う方しか下ろすことができないということ。
「本当にあなたはその重荷を下ろしたいですか?
下ろすのはほかのだれでもない、あなたです。」
重荷を辛い辛いとおっしゃって、
セラピーに来てくださる人の中には、
ご本人も気づいていないけれど、無意識の領域では
重荷を背負い続けるほうがいいと、選んでいる人が多いです。
「なぜ、重荷を背負い続けることを選んでしまっているのか。」
そこから見つめていくことが大切だと、私は考えます。