十牛図

社会心理学を専門とされている心理学者の先生主催の研究会に所属し、

心理学を学んでいた時に、

『十牛図』を使い、本当の自分と出会う旅を考えたことがあります。

 

第一の図『尋牛』

〜本当の自分を探す旅に出る〜

人が牛を探してる図

どこに行けば出会えるのかさっぱりわからず、途方に暮れて、さまよっている様子。

本当の自分を「自分の心」として考えるともっと具体的になるかもしれません。

勝手に動き回る心。そういう心を制御するための旅でしょうか?
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第二の図『見跡』

牛の足跡を発見!

足跡をたどっていけば必ず牛と出会うことができる。

師の教えや昔からの言い伝え、書籍を読み、その通りに進んでいけば、

いつしか自分の目指す境地にたどり着くことができる。

そう信じて足跡をたどります。

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第三の図『見牛』

とうとう見つけました!

全貌が見えたわけではありませんが、

時々、悟り、その境地を感じることができたという感じでしょうか?

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第四の図『得牛』

ようやく、牛を捉えました。

手綱はピンと張っています。すぐにでも牛は逃げていきそうです。

なんとか、コントロールしようとしている自分自身でしょうか。

少し、悟りの境地に入ったけれども、

すぐにでも元に戻ってしまうような状態でしょうか。

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第五の図『牧牛』

同じ方向を向いて牛と歩いています。

心のコントロールを楽にできる様になった状態、

自然な形で自分自身を生きることができるようになった状態でしょうか。

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第六の図『騎牛牧帰家』

横笛を吹きながら楽しげに牛の背に乗っています。

心を完全にコントロール出来ていて、

心と自分との完全な一体感を感じているところでしょうか。

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第七の図『忘牛存人』

牛が描かれていません。

長い旅から戻り、牛の事を忘れ、自宅でくつろいでいる様子が描かれてます。

本当の自分を探しに出かけ、ようやく探し当てて、連れ帰ったのに、

ゴールである家に牛がいないのです。

もうすでに自分の中に探していたものがある。

そんなホッとした感じでしょうか。

本当の自分を見つけようとか、悟りたいとか、心をコントロールするとか、

そういう気持ちがある間はそこには到達できないことを表してるそうです。
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第八の図『人牛倶忘』

丸の枠があるだけの空っぽ。

本当の自分を探しに行く旅を終え、悟りとか、心の制御とか、

そういった気持ちやこだわりを全て受け流すことで、

境地に至ったことを表しているそうです。

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第九の図『返本還源』

ここには木や草、自然の何気ない景色、風景だけが描かれています。

牛も、人もいません。

本当の自分に出会うとか、自分の心をコントロールしたいとか、

制御したい、心を空っぽにしたいとか、何かになりたいといった、

望んでいるものが存在しているところに「悟りの境地」はない、と言った感じでしょうか。

 

それはすでにそこにあり、追い求める必要もないと気づくことでしょうか。

私は「望んでいた境地に到達できると、何気ない自然が圧倒的な美として、

自分の前に表れる」と付け加えたいような気がしています。

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第十の図『入鄽垂手』

この絵は幾通りかの解釈が出来るような感じがしますが、

本当の自分を発見し、悟りの境地に達したからと言って、

「悟った自分は皆とは違う人間になったのだ、

俗世間にこれ以上いることは違う」と言った考えで、

どこか別の次元のような世界に行ってしまったり、一人引きこもったり、

今までとすっかり違う生活をはじめるのではなくて、悟ってもなお、

今までどおりの何気ない日常で生きると言った感じでしょうか。

それと、苦労して悟った自分自身の体験を、同じように悩んでいる人を見たら、

普通の会話で伝える図とも、読みとれる感じがしています。

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私は、「何気ない出会い、

そんなに意識していなかった偶然の出会いが、

自分の人生を形作っている。

その人たちの言葉に、行動に影響され、

自分が変わっていった。」と思っています。

 

実は悟っている人って、自分は悟っています!風な感じでは全然なくて、

さりげない感じの人が多いかな。

 

そんな人と出会うと、さりげないその笑顔の裏で、

どれほどの苦闘と葛藤を乗り越えて来たのだろうと、感動してしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

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