生きていくのに必要な物はそれほど多くない

2003年3月、中国北京に引っ越しのため家族で成田に。

待っている飛行機の Delay の文字が消えない。降り続く雪、除雪のために時間がかかっているよう。

 

遅れること3時間、ようやく飛びたった飛行機の中は2月にsarsが知られるようになり、

ガラ空き、あたりを見渡すと乗客は皆マスク。

重症急性呼吸器症候群(じゅうしょうきゅうせいこきゅうきしょうこうぐん、

Severe Acute Respiratory Syndrome; SARS(サーズ))は、

SARSコロナウイルスにより引き起こされる感染症

新型肺炎(非典型肺炎、中国肺炎、Atypical Pneumonia)とも呼ばれた”        wikipediaより

 

家族4人がそれぞれ、すぐに必要になるものを詰めたリュックを背負い、スーツケースは2個。

そのうち1個は仕事に必要なもの&子どもたちの学用品。

残りの1個には引っ越しの荷物には入れることができないもろもろ。

 

降り立った北京もまだ寒空で雪があちこちに残っている。

 

その日のうちにタクシーでIKEAに行き、布団、皿、カップ、箸、スプーン、タオルなど、

最低限生活に必要だと思われるものを両手に持てるだけ買い込みタクシーに乗り込む。

 

その年から北京市の法律がかわり、外国人がどこで暮らしても良くなったので、

我々が決めた住居は会社の近く、北京市の北の方、少し行くと万里の長城の一部が見えるといった所だった。

 

日本人や外国の駐在ファミリーが暮らす北京の中心地へはタクシーで1時間半位かかる場所で、

新しく開発されオフイスビルが立ち並ぶいっぽうで、舗装された道路に荷物を積んだ馬車が走り、

オンドルのある煉瓦の家並みが残る、近未来と過去が入り混じったような街。

 

到着して数日で外出を控えるようにとのことで、マンション入り口には、毎日更新されることになった

「本日の入院患者◯◯名、死亡者◯名」の張り紙が。

 

暮らすマンションの50m先で患者発生とか、会社のあるビルの1Fに出入り業者の人が入院したとか。

マンションの住人も知人を頼り、南に移動したのか、夜、明かりが灯る部屋の数が少なくなってきた。

 

 

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今更日本へは帰れない。

 

近所のスーパーに買い物に行く。

初めて見る食材、調味料、買い物システム、マスクに手袋の人、人、人。そして中国語が?の私・・・・。

 

確かスーパーで土鍋を買い、まずそれでご飯を炊き、その鍋で毎日野菜鍋を作っていた気がする。

鍋敷きはお菓子の箱。

 

4月になりあっという間の短い春が過ぎ、半袖で過ごすような陽気に。

当然夏物なんて持ってきていない。下着代わりのTシャツとGパンで殆ど着たきりスズメの家族4人。

相変わらず外出もできず、なんだか掃除ばっかりしていたかな。

何もない床に寝転がり、背泳ぎや、クロールやったりして・・・。

 

結局、新型肺炎制圧宣言が出される7月末まで、日本からの引っ越しの荷物は届かなかったな。

 

今となっては、生きていくのに必要な物はそれほど多くないということを学べた良い機会だと思っている。

 

 

 

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