小学生の頃、ヘレン・ケラーの伝記を読んだという人は多いのではないでしょうか?
私もその一人で、ヘレンがサリバン先生と「ウオーター!」と叫んだ場面では、ものすごく感動したのを覚えています。
目を閉じて、耳をふさいでみて、ヘレンはこんな世界でどうやって学んでいったんだろう?
読んでしばらくはこんな疑問が頭のなかを渦巻き、
「自分は目も見えるし耳も聞こえる、じゃあなんだって頑張れるはず!」
なんて前向きな考えを持っていたはずなのに・・・。
いつの間にか自分に与えられている感覚は当たり前、さらにその感覚を意識的に使っていないことに、
気が付きました。
ヘレン・ケラーが書いたエッセイ『目の見える3日間』
『目の見えない私から、目の見えるみなさんに生きるヒントを差し上げることができます。
明日突然目が見えなくなってしまうかのように、目を使って見て下さい。
明日、耳が聞こえなくなってしまうかのように、人々の歌声を、小鳥の声を、オーケストラの力強い響きを聞いてください。
明日、触覚がなくなってしまうかのように、触りたいものに触ってみてください。
明日、においも味もわからなくなるかのように、花の香りをかぎ、食べ物を一口ずつ味わってください。
こうしてどの感覚も最大限に使って、あらゆる姿の喜びと美しさを讃えましょう。』
自分の感覚をしっかりと味わうことで、今ここに集中して生きることができます。
過ぎ去った過去を憂うことなく、まだ訪れていない未来を不安に思うことなく、
幸福はどこか遠くにあるものではなく、今ここに集中して生き、今幸福を感じること、
その一瞬一瞬の積み重ねが本当の幸福ではないでしょうか。