愛が怖れに変わる時

人は受け入れられると嬉しくなり、その相手に対して心を開き、好意をもつもの。

受け入れるは肯定、承認。

 

受け入れることは難しくとも、受け止めるだけでも、

受け止められた方は安心感が得られ、ずいぶんと二人の仲は良くなります。

「受け止める」は「ああそうなんだ。」と、理解を示すことで、同意することではありません。

 

どんなに好きな相手でも、愛していても、尊敬していても、感謝していても、

受け入れられていない、受け止められてさえいない、そんな風に感じる瞬間が増えていくと、

または裁きと感じるような批判が続くと恐れを感じてきてしまいます。

 

愛と怖れは同居しにくいもの。

 

愛は広がりや勇気や優しさや、時には「生きる意味」さえ運んでくれますが、

怖れは萎縮や思考のストップをもたらします。

 

怖れでいっぱいになった心にはもはや、愛は存在しなくなってしまいます。

人生で起こる辛い、悲しい出来事を一緒に乗り越えてこられたのは、

愛が支えてくれた勇気や希望があったから。

 

相手に届けたかった愛が、相手を通り越し、相手をすり抜け、

行き場を失い、寂しさとやるせなさと孤独の中、漂う。

 

これから先、はたして怖れでいっぱいの心で、一緒に困難を乗り越えていけるのだろうか。

そう感じた時、どれほど愕然とするでしょう。

yun_523
一番大切なものは何なのか・・・。

愛より大切だと感じるものがあるとしたなら話は別ですが・・・・・。

 

愛を大切だと思ってるのなら、短所をみつめるのではなく、長所を伸ばすことにシフトしていきませんか。

 

実は短所もその人らしさを表す大切な要素。

神様がその人に与えた大切な資質の一つかもしれません。

 

長所と短所は見方を変えれば裏返しの意味を持つこともあります。

 

相手の短所を何とかしようとする。

言われたら、今度は相手のできていないところを見つけ、攻撃する。

お互いにできていないところを罵り合ったり・・・・・。

その後で後悔して自分を裁く。

 

そういった習慣から抜け出すには、自身の口から出る言葉をすべて、愛の言葉に変えていく。

口から出る言葉は他人に愛を伝えるためのものだけにするように変えていく。

 

相手にとってふさわしくないと思う習慣や癖には、「私はこうした方がいいと思うよ。」といった

『提案形』で伝える。

相手の習慣に困っていたら「私、お願いがあるんだけど。」『依頼』と言うかたちで伝える。

言葉の最初には必ず「YOU」ではなく、「I」を付ける。

「あなたはいつもできていない。」これは上から目線で攻撃。

「I」メッセージには相手と対等という意味合いが含まれます。

 

 

愛ある日常を取り戻したいあなたに。

 

 

 

 

上部へスクロール