日々是好日(にちにちこれこうじつ)
茶席の禅語 毎日がよい日である
真実の生き方
その日その日が最上でかけがえのない一日であって、
日々の、苦しみ、悲しみ、喜び、楽しみを含め 今日を素直に受けとめ、
自然の中で生きている喜びとともに、 1日をすごせる。
私の茶道との出合いは、息子の出産時にさかのぼります。
ヘルプを頼む親きょうだいがない者にとって、出産は人生の難所。
引っ越してきたばかりのその土地で、市役所にヘルパーとして登録されていた、八千草薫似のその方にお会いします。
息子のはじめてのベビーバスでの入浴もその方がやって下さいました。
「茶道教室をひらくから、来ない?ベビーふとん用意したから。」
そう声をかけてくださった時、息子はまだ生後3ヶ月。
茶道って柄でもないなあ私・・。と思いながらも息子連れで通い始めました。
夏はまるで水を打ったような涼やかなおへやで、冬はひだまりのような暖かな雰囲気のお部屋で、
炉、風炉、炭点前、夜噺、懐石、初釜、着物の着付けまで、惜しげも無く教えて下さいました。
私はこの本を読んで、先生が私に季節や趣向、客に応じて道具や料理・菓子を選ぶこと、
床にかける掛軸、茶室に飾る茶花、道具の取り合わせや調和を季節感とともに考え、
茶席、庭の掃除は勿論、塵一つにも気を配り、 客と主客の対話立ち居振る舞いまでのすべてを伝えて下さっていた事、
そして私が気づいていない事に気づきながらも、 あたたかく見守っていてくださっていたことに気づいたのです。
東藪内流という、武家点前で男点前と言われる作法は、とてもかっこよく見え、 ただ作法を真似ることが嬉しかった自分。
いつでも来ていいのよ〜という優しい言葉に甘えていただけの自分。
お茶とは何か、道を究めるとは何か、生きるとは何かまで先生は私に伝えてくれていたんだ!!!
先生と過ごしたあたたかな情景が思い出され、涙がこぼれました。
人に教えるとは人生を導くのと同じこと。
教えをこうがわも、それなりの覚悟でのぞむことの大切さを感じました。